生きているだけでいい!
あなたは家族が突然命の危機に陥ることを想像したことがありますか?
普段はなかなか考えないでしょう。
私もそうでした。
しかし、私の弟が命の危機に陥ったのです!
【母もてんかんだった】
母もてんかん持ちで子どもの頃は思うように運動ができませんでした。
薬物療法と食事療法で大人までに症状を抑えることに成功しました。
私は母が発作を起こしているところを一度も見たことがありません。
【弟のてんかんの始まり】
最初は小学校のプールの授業中に意識を失いました。
その時、色々検査が行われ、てんかんであることがわかりました。
しばらくプールは見学になりました。
医師の許可が下りた後も学校側の要請で母がプールサイドで見守ることになりました。
その後も発作を度々起こし、道端で倒れて前歯を折ったこともありました。
【薬物療法】
発作が度々起きるようになり、薬物療法が始まりました。
私はこれで母のように症状がおさまっていくと信じていました。
弟は薬を欠かさずきちんと飲んでいました。
【命の危機】
その日は突然やってきました。
弟が大学1年生の10月3連休の前日、私はアルバイトをしていました。
アルバイトの休憩中、母からメールが来ていることに気付きました。
メールを見ると、『突然倒れて、心肺停止』の文字が目に飛び込んできました。
最初は祖母のことかと思いました。
しっかり内容を確認すると、弟のこととわかり、パニックになりました。
とりあえず母に電話しました。
『大学で突然倒れ、心肺停止の状態になった。大学側で救急車の要請やAEDの対応をしてもらえ蘇生したが、予断を許さない状態』頭が真っ白になりました。
『家族の中で1番若くて元気な弟が1番最初に命の危機?信じられない。何かの間違いだ。』そんな思いが頭をよぎりました。
バイト先に事情を話し、すぐ病院へ向かいました。
そこにはたくさんの管に繋がれた弟がいました。
3連休の間に命の危機は脱し、容態は安定しました。
【医師から衝撃の事実を告げられる】
その後、弟は植物状態のまま良くなりませんでした。
私は日に日に病んでいき、鬱病になりました。(鬱病については別記事に記載します)
そのような中、医師から弟はずっと植物状態のままで今後良くなることはないと告げられました。
私は再び頭の中が真っ白になりました。
【諦めたくない!】
しばらく落ち込んでいた私でしたが、次第に諦めたくないという気持ちが芽生えてきました。
医師は無理と言っていたが本当に方法はないのか自分で必死に調べました。
そして、県内で脳の治療に特化した病院を見つけました。
早速病院へ行きました。
全員が良くなる訳ではない、実費負担になるので、検査をして可能性がある場合のみ治療を行うと説明を受けました。
検査の結果、可能性があると判断され、治療が始まりました。
今のところ表情が現れるようになった以後大きな変化はありませんが、今も治療は続いています。
【私の受け止め方】
最初は良くならないと意味がないと思っていて、良くならないことが辛かったです。
しかし、自分自身が出産を経験して改めて命の尊さを実感しました。
そして、死んでいたかもしれなかったのに今でも生きている、それだけで十分素晴らしいことだと思うことができるようになりました。
もちろん良くなっていくことを諦めた訳ではありません。
これからも弟の治療は続けていきたいと思います。